大阪地方裁判所 平成3年(行ウ)37号 判決 1992年8月26日
原告
梅村春雄
右訴訟代理人弁護士
南逸郎
同
崔勝
被告
大阪府
右代表者知事
中川和雄
右指定代理人
手﨑政人
外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
1 被告は原告に対し、一〇〇万円を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、原告が被告に対して、原告から農地法二〇条一項に基づく農地の賃貸借契約の解除許可の申請を受けた大阪府知事がこれに対して八年以上の間応答せず、処分が遅延したことにより不安、焦燥の念を抱かされて精神的損害を受けたとして、国家賠償法一条、三条一項により慰謝料の請求をした事案である。
一前提事実
<書証番号略>、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 原告は、別紙物件目録記載の土地(以下「本件農地」という。)を所有し、これを中野仙次郎に賃貸して同人に小作させていた。
2 原告は、中野仙次郎が原告に無断で、仲谷一郎に対して、本件農地につき転貸もしくは賃借権の譲渡(以下単に「転貸等」という。)をしたとして、昭和五七年一二月二九日、大阪府知事に対する農地法二〇条一項による解除許可の申請書を同法施行規則一四条一項に従い富田林市農業委員会に提出した。
3 しかし、大阪府知事が右解除許可の申請に対して許可もしくは不許可の応答を行わないまま日時が経過したため、原告は、平成三年五月一〇日、本件訴えと併せて、大阪府知事を被告として、原告の右申請に対する大阪府知事の不作為の違法確認を求める訴え(以下、「本件不作為の違法確認の訴え」という。)を提起した。
4 大阪府知事は、その後同年九月二五日付けで、原告の右申請にかかる解除の許可をしない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。
二原告の主張及び争点
原告は、大阪府知事が地方自治法一四八条、同法別表第三、一項、(七十)により国の機関として行ういわゆる機関委任事務である本件処分の遅延により、受忍限度を越えた不安、焦燥の念を抱かされたとし、右遅延が不法行為になる旨主張して、本件処分に当たる公務員の俸給、給与その他の費用の負担者である被告に対し、国家賠償法一条、三条一項に基づき、精神的損害の賠償として慰謝料一〇〇万円の支払いを請求した。
原告の右主張の当否が争点である。
第三争点に対する判断
一1 原告の内心の静謐を害されない利益が不法行為法上の保護の対象になるか
農地についての賃貸借契約の解除権という私人の財産権の行使の自由が知事の許可という行政処分によって制約せられ、それを条件としてはじめてその行使が認められている本件の場合に、許可申請がなされれば処分庁は相当期間内に処分をなすべきことは当然であり、許可申請を行った者は、許可もしくは不許可の処分がなされない限り自己の財産たる農地について解除権を行使できるか否かが確定せず不安定な立場に置かれるのであるから、早期に処分がなされることを期待し、長期間にわたって処分がなされなければ、ある種の不安感、焦燥感を抱かされて内心の静謐な感情を害されることになる。もっとも、そのような不安感、焦燥感により内心の静謐な感情を害されても、一定の限度では、各人が互いに共同して社会生活を営んでいく上において当然に甘受すべきものではあるが、その侵害の態様、程度いかんによっては、申請人が抱く不安感、焦燥感は必ずしも軽微なものとは限られず、社会通念上右の限度を超えるものとして法的保護に値し、その侵害について不法行為が成立する余地があると解せられる。従って、申請人の右のような内心の静謐な感情を害されないという利益は、不法行為法上の保護の対象になりえないものではないというべきである。
2 大阪府知事の作為義務の内容とその懈怠による不法行為の成否
農地法二〇条一項の解除許可の申請がなされた場合、処分庁としては、相当期間内に処分をなすべき条理上の作為義務があることは当然である。しかしながら、申請人の抱く右のような不安感、焦燥感は、許可、不許可を問わず処分がなされさえすれば解消する性質のものであり、また、右のような行政処分は、生命、身体の自由、安全や人格権等とは係わりがなく、専ら財産権の行使の自由にかかる制約の性質を有するものに過ぎないから、申請人の抱く右不安感、焦燥感は、一般的にはさほど大きく耐え難いようなものとは考えられない。更に、処分をすべき相当期間内に処分がなされないときには、申請人は処分庁を被告として不作為の違法確認の訴えを提起することができるのである(現に、本件の場合、原告が本件不作為の違法確認の訴えを提起した四カ月半後に処分がなされている。)。このような諸点を勘案すると、本件のような行政処分が長期間なされず遅延しても、処分庁の不作為がただちに内心の静謐な感情に対する介入として、社会的に許容しうる範囲を超え違法なものとなるわけではなく、処分庁が相当の期間内に処分をなすべき条理上の作為義務に違反し、それにより内心の静謐な感情を害されたことが不法行為となるといえるためには、客観的にその処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分がなされず、その期間に比して更に長期間にわたって遅延が続き、かつ、その間、処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに、これを回避するための努力を尽くさなかった(最高裁昭和六一年(オ)第三二九号、第三三〇号、平成三年四月二六日第二小法廷判決、民集四五巻四号六五三頁参照)というのみでは未だ不十分で、更にその他に、処分庁が申請人に対する害意をもってことさらに処分を遅延させたとか、あるいは当該不作為の違法を確認する旨の判決がなされたのになおそれから長期間にわたって処分がなされなかったというように、処分庁の行為(不作為)の態様が社会通念上とうてい容認し難いような特段の事情があることが必要であると解すべきである。
二これを本件についてみるに、<書証番号略>、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告の本件解除許可の申請がなされてから本件処分がなされるまでの経緯について、以下の事実が認められる。
1 原告から本件解除許可の申請後転貸等の事実を証するものとして提出された実質的な証拠資料としては、原告の陳述以外には、原告の作成にかかる本件農地の耕作現認状況等に関し記載された簡単な日記風のメモ(<書証番号略>)しかなかった。また、富田林市農業委員会から昭和五八年二月二一日付けで大阪府農林部長に本件解除許可申請書の進達がなされた際の同委員会の意見も、転貸等の事実の有無の確認が困難で許可、不許可の判断がし難く、知事の高度な行政判断を仰ぐというものであり、その後の大阪府知事の調査においても、資料としては原告、賃借人、及び転借人と主張される仲谷一郎の農家基本台帳が得られたのみであった。
2 原告は、昭和六三年五月ころから平成二年八月ころまでの間、何度も被告の担当者に連絡をとって処分の促進方を促した。被告の担当者はそれらの機会に、度々原告に対し、農地法二〇条二項(解除許可の要件)に該当するか否かの判断をするための資料が不足しているので原告の主張を裏付ける証拠資料を追加提出してもらいたい旨要請した。しかし、これに対して、原告からは何らの資料も提出されなかった。他方、賃借人中野正信(中野仙次郎は昭和六二年一二月二四日死亡し、本件農地の賃借権は同人の子の中野正信により相続された。)からは、平成二年七月、転貸等の事実を否認する旨の陳述書が提出された。
3 原告から平成三年五月一〇日本件不作為の違法確認の訴えが提起された後、大阪府知事は、現地調査、地元の住民や農業関係者からの事情聴取、賃借人及び転借人と主張される仲谷一郎からの事情聴取、賃借人からの耕作状況等に関する諸資料の提出等を経て、同年九月二五日付けで本件処分を行った。
三以上の事実に徴すれば、本件においては、本件処分の性質、内容に鑑みると、客観的にその処分のために手続上必要と考えられる期間に比して更に長期間にわたって遅延が続き、しかもその遅延の程度は相当大幅であったことは明らかであり、処分庁たる大阪府知事として遅延を解消するため通常期待される努力を怠ったといわれてもやむをえないといえる。しかし、そのように遅延したのは、専ら判断をするために必要な資料が十分に収集できず適正な判断をすることが困難であったためであり、それは処分庁の怠慢に起因する面が多分にあるとはいえるものの、処分庁が原告に対する害意をもってことさらに本件処分を遅延させたとは認められない。また、原告が本件不作為の違法確認の訴えを提起した四カ月半後に本件処分がなされているのである。その他、処分庁の不作為の態様が、社会通念上とうてい容認し難いものであるような特段の事情は認められない。従って、本件処分の遅延による精神的損害を賠償するための慰謝料の請求は理由がない。
四よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官松尾政行 裁判官山垣清正 裁判官明石万起子)
別紙物件目録
所在 富田林市大字佐備
地番 二三四番
地目 田
地積 七五三平方メートル